W・エンゲージ:Z
佐上がテストフライトの折り返し地点に到着したころだ。司令室の方から一報が入った。その声はしっ
かりしているが、まだ幼い少女のようなかん高い声だった。声の主は、ベイルール=リカ=マーナ。ペン
ギン先生と自称して回りにもそう呼ばせている問題医師で優秀なプログラマーである彼の右腕とも言える
存在で「ホープウィンド」の名付け親である。彼女から入った連絡はこうだった。
「官制からF−002へ、ただ今滑走路上にてトラブルが発生した模様。このトラブルによりテスト時間
を五分延長する。伴ってフライトコースの変更を行います」
「トラブル?」
「えぇ」
トラブルの内容を聞こうとしたが、リカは『詳しくは帰還後に報告します』と言って回線を切ってしま
った。
「トラブル・・・って・・・滑走路整備中に誰か事故ったのか?」
トリスティア基地の滑走路が見え始めた。丁度その頃にフライトコース変更の知らせが来た。
設定されたコースは通常のコースから大して外れておらず、トリスティアの広大な滑走路の上を五分間
旋回しろという単純なものだった。
コックピットから覗いた滑走路上には小さな人だかりが三つほど確認できた。
見たところ、事故ではなさそうだ。
「・・・それじゃあ・・・なんだ?」
機体下部のカメラからイメージを確実に取り出して現状を探ろうとする。しかし、深く探ろうとすれば
するほど人だかりが少なくなり、現状を把握しにくくなる。
やがて着陸許可が管制から下りた。『ジャスト五分・・・』佐上は迅速に着陸軌道のイメージを描き、
滑走路へ向かった。
*
着陸後、テストについての報告をしようとミーティングルームに足を運ぶと、そこにきていた別部隊の
同僚や、管制官達、そして佐上の彼女であるオペレーターのレイナを含め全員が彼を盛大な拍手で迎え入
れてくれた。
「ど・・・どうも」まるで英雄を讃えるような大きな拍手に佐上はむずがゆさを感じ、なんともいえない
優越感に浸った。
と、そこに長身の白衣がマイクを通じ彼に声をかけた。例の問題医師、自称“ペンギン先生”だった。
「今回のテストフライト、ご苦労様でした」という月並みな台詞と挨拶を彼に捧げ、続いてこう言った。
「対異文明体用に開発したイメージングサイトですが・・・どうでした?あれで戦えそうですか?」
佐上は即答する。
「はい、性能面では自分の前機体を凌駕しているものと考えますし、その場の状況判断で機体が思った通
りに動くのはあらゆる戦局で役立つとも考えます」
「ほぉ・・・まさに期待通りの機体・・・とでも言えますか・・・勿論洒落です。笑うところですよ?」
ミーティングルームで洒落を言うという前代未聞の行動だが、今回ばかりは勝利への第一歩であるホー
プウィンドを製作した彼らへの敬意の表れも意味し、室内の多くの者は彼に和やかな雰囲気を贈った。
「やぁやぁ、これだけ雰囲気がいいと寝る暇惜しんで考えたかいがありましたよ・・・さて、本来なら
ここでテストの報告を詳しくしてもらう予定だったのですが・・・あいにくそうもいかないようで」
「?」佐上は首をかしげた。やはり先ほど滑走路であった“何か”は重大なことだったように思えた。
「関係者各位はここに残り、緊急会議を行います。他のかたがたは、自室で自習でもしといてください。
いいですか、異文明体の襲撃に備え適当な休憩を取るようにということです」
相変わらずわけのわからない言い草だが、彼の表情は仕事をするときの顔だった。
聞いた者たちは上官を除き、談笑を交えながら出て行った。佐上は出口が空くのを待ち、最後尾辺りで
出て行った。そのとき『相変わらずアバウトな上官たちだな』と思ったのは口に出さなかったが。
*
会議は白衣の『さて・・・』という一言で幕が上げられた。
この会議の内容は、今日、生還を確認された三村統冶(ミムラトウジ)についてである。死亡が確定さ
れてすぐのことで、関係者各位も動揺を隠せずにいた。今回の件で彼が生きているのは奇跡を通り過ぎて
“異常”の領域であった。なぜなら彼は気化爆弾を抱えたまま敵陣に激突したのだ。爆弾の誘爆はまず免
れないはずだった。にも拘らず彼は目立った外傷もなくここトリスティア基地に帰還したのだ。
それだけでなくもし仮に車などの移動手段を用いたならばこの基地のセキュリティにかかるはずだし、
歩いて帰ってくるにも距離がありすぎる。
「以上を踏まえて・・・ご意見を承りたいのですが・・・『爆風でここまで飛ばされたのでは?』という
突飛な意見も今回限り受け付けます。それぐらいにありえない話なんですからねぇ・・・」
白衣は言って周りを見渡すがざわめきが多少あるだけで、これといった意見は望めそうになかった。
それを見て、白衣は仕方なく自分の意見を述べた。最も、ここにいる人間全てがふと考えたに違いない
ことだが。
「彼は・・・異文明体に利用された・・・私はそう考えますねぇ・・・」
白衣は言ってにやりと口に三日月を作った。
*
「まずありえないのよ・・・彼がここまでほぼ無傷で帰ってくるなんて・・・」
佐上の部屋の真ん中に置かれた丸テーブルに向かい合ってレイナと佐上は座って話し込んでいた。
「まぁ・・・報告書やら、話に聞いたところだと・・・人間じゃ考えたれないよな・・・」
「人間どころか・・・」レイナは眉を八の字にして深く考え込んだ。佐上の墜落事件からレイナはどうも
この手の話に敏感になっているようだ。レイナはどうも考えすぎると空回りしやすいタイプだということ
を佐上は知っている。だから思考を深くする前に自分が意見を出し、レイナの考えを遮断した。
「その三村ってのは・・・きっと異文明体に“アプダクション(誘拐)”されたんだろうな・・・」
「アプダクション?」レイナは佐上の言葉をなぞった。一瞬、驚いたような表情を見せたがレイナほど知
的な女性ならその程度の考えなどはすぐに行き着くだろう。案の定、レイナは『私も・・・そうじゃない
かとは思ったんだけど・・・』と呟いた。だが佐上はここで言葉の引っ掛かりを発見した。
『思ったんだけど・・・』と彼女は確かに最後を濁したのだ。
「思ったんだけど・・・なんだよ?」と問う佐上にレイナは答えた。
「私達がそんな簡単に行き着く答えだよ・・・ペンギン先生がそれに気付かずに“その可能性を否定でき
ない人”をやすやすと基地に入れないと思う・・・アプダクションされたなら・・・殆ど確実に彼は偵察
任務を任された人間ってことになるでしょ・・・?」
「!」レイナはやはり佐上より知的だった。上には上がいることを佐上はここになって改めて知らされた
のだ。そうだ、自称“ペンギン先生”という問題医師はこのトリスティアで最も頭の回転が早く、尚且つ
勘の鋭い男だ。彼がその点を見落とすのはまず考えられなかった。彼はこの基地始まって以来の天才であ
りまたこの基地始まって以来の問題人物だ。その彼が簡単にあの“三村”という人物をこの基地に迎え入
れた。きっと彼は“三村”が異文明体ではない確信を持っていたのだろう。
考えて、佐上はテーブルを睨んだ。