W・エンゲージ!!(2)

 

 青年は激しい頭痛に苛まれ目を覚ます。

 頭が痛いという”生きた感覚”は確かにそこのあったが、視覚、聴覚は

未だ夢に奪われたままとなっていた。

 だが、嗅覚だけは完全に目覚めていて、今青年が居る場所を認識させた。

匂いで感じ取れたのは、真新しい建築物の匂い。もしくは消毒液の匂い。

 そして、視覚にぼんやり映る真白な背景から察するにそこは・・・「医務室?」

 声に気付き、彼の傍らにいた少女らしき人影がその身をゆっくり起こした。

「気付いた・・・?」

 その透き通るような声で完全に覚醒した。そして、それと共に自分の置かれ

ていた状況。自分の名、傍らの彼女の名。自分に関わるそれらを瞬時に理解し

た。

 『自分は佐上 啓司(サガミ ケイジ)、トリスティア基地専属空線部隊・λ隊

所属、階級は少尉。こいつは美濃 レイナ(ミノ レイナ)確か俺の彼女で兼、

オペレータ・・・んで俺の上司は・・・』

 と、自分の思い当たることを全て頭の中に並べ、欠落した記憶がないか、慎重

かつ迅速に思考した。

「よかった・・・ほんとに良かったよぉ」

見れば彼女は目から大粒の涙をぼろぼろ溢していた。

「そんなに泣くなよ・・・ほら生きてるだろ、俺?」

 彼女は何度も首を小さく上下させ、彼の問いに答えた。

  いつもは気丈な彼女がここまで泣き崩れる姿を見たのは、彼氏として近くにいた

佐上でさえ始めてのことだった。

 彼女の目から溢れる涙の分だけ彼は大事にされているのだと、それを悟りまたそ

の分、うれしさを感じた。

 しかし、佐上がここに来るまでの経緯を知っているであろう彼女がこの状態では

どうにもならない。たとえそれを聞いたところで満足いく話が聞けないであろう事

は火を見るより明らかだった。

 

 未だ泣き続ける彼女を腕に抱いたままどうしたものかと考えようとする。

 だが、はじめて見る彼女の表情に気をとられ思考は自然とそちらに向いてしまう。

どれだけ思考を自分に集中させようとしたところで考えが固定されない。

考える時間を費やせばそれだけ強い粘性をもった思考の泥に考えを歪曲され、もは

や自分が何を求めているのかもわからなくなった。ただひとつ自分が混乱している

という事実のみを理解して。

 

 佐上はしばし呆然とし、思考に数瞬の空白を形成した。

 まるで現実にある世界を隔絶し、佐上の周りのみを通常の時間から切り離したか

のような・・・そんな時間の闇が波打った。

 

 暫く白い医務室に立ち込めた時間の壁は“現実”から発せられた音により割られ

た。

 現実から漏れ出した音は佐上の感覚がそれと認識する前に音声に変わる。

人が放つ言葉にもかかわらず、音声は機会特有の無機質なノイズにより多少聞き取

りづらくなる。

 しかしそのなかに自分の名があり、さらに呼ばれていると理解したとき、彼は完全

に現実に引き戻された。

 

『戦術戦闘部隊第三部所属・・・佐上少尉、至急、二号棟医務室まで・・・』

 その放送が二回繰り返し聞こえてきた。佐上は覚醒後この場が一号棟であったこと

に気付く。

 泣きじゃくっていた彼女もふとそれに気付いたのか顔を上げ涙を拭いた。

「呼ばれたね・・・」

 彼女の言葉に佐上は「うん」と頷く。

 2号棟はこの一号棟医務室からは少し離れた場所に位置しており歩いて行こうと思

えば歩幅のあるもでもざっと五分はかかる。意識ははっきりしているものの、体は未

だ重い。脚をベッドからおろし腿に少しばかり力をこめ立ち上がる。

 はじめ貧血のような眩暈に一瞬襲われたがすぐ楽になる。

 一度立ってしまえば後は歩くことなどどうでもなかった。二号棟まで行く途中、ふ

と先のタイミングを計ったかのような放送が気になった。何故、あそこまで正確に自

分の起きた時間がわかったのか・・・。

 歩きながら暫し思考を巡らせたところ、各部屋、通路に設置されてた監視カメラの

存在に行き当たった。なるほどと思ったが何故それならその放送をもっと早く流さな

かったのかとも思う。しかし、放送の声の主を思い出したとき理由がわかった。

「さては・・・あの状況を見て楽しんでたんだな・・・」

 二号棟医務室の扉を開け、その医務室というにはあまりにも殺風景な部屋の真ん中

「ペンギン先生・・・」

 そう呼ばれた白衣の男は回転椅子ごと振り向きにんまりと笑った。このペンギン先

生という名は言うまでもなく”あだ名”だが、誰かが好んで呼んでいるわけではなく

この目の前の男が自称として呼ばせているだけであり、この奇妙な自称から影では変

態ともよばれていてそれを知っておきながらへらへらとした態度をとるので気味悪がられてもいる

し、何より何故この男がこの基地の統括者であるマクラーレン少将の目に留まり更には側近まで勤

めているのか、謎の多い人物で、ある種この基地の名物にもなっている。

  男は口の端に笑みを残したまま、愉快そうに言う。

「やぁ、よくお越しいただきましたねぇ」

「ここに呼ぶぐらいなら初めから二号棟で寝かせてくれればよかったじゃないですか」

 佐上は不満を口にするが、その不満は次の一言で遮られた。

「いえいえ、あなたは昨日までここに寝てたんですねぇ」

 佐上は「は?」という間抜けな声をあげ聞きなおす。

「昨日まで?」

「えぇ」と首を縦に振り「あなたはまる二日寝てましたよ、まぁ依存症などがないか確

認されるまでもう少し安静にしておいた方がいいのですがねぇ」

 安静にしておいた方がいいなら呼ぶなよと心中で舌打ちするがこの際それはどうでも

よかった。それより何故自分を一号棟に移動させたのか、その理由が気になった。

「じゃあ何で・・・」訊くと「昨日の夜、食堂のカレーを食べた多くの方々がソラニン

中毒で運ばれてきたんですよ、この二号棟医務室一杯分の人がねぇ」

「ソラニン?」自分でも思うがこう何回も間抜けな声をあげると恥ずかしくなる。しか

し、そんなこと気にしている様子もなく目の前のペンギン先生は続ける。

「えぇ、どうもコックがジャガイモの芽を取るのを忘れたらしくてねぇ・・・毎週金曜

にカレー出しておいてこんな初歩的ミスを犯すとは・・・まぁコックも人間ですから、

サルも木から落ちるというやつですかねぇ?」

 男はまた愉快そうに笑う。何が楽しいのか理解できないが移動した理由がわかったの

でこれ以上の世間話は時間の無駄に思えた。

「で・・・本題なんですが」ペンギン先生は笑うのをやめ、佐上が聞く前に答える。

「λ(ラムダ)隊の隊長であるワイト=ジャクソン、また副隊長のマライアン=ウィー

グリ他2名に新しい機体のテストをしてもらいたかったんですが、残念なことにλはあ

なた以外全滅したんですよ」

!?

「報告まだ聞いていませんかねぇ?」少し同情を含んだような、それでいて悲哀を少し

込めた言い方で聞く。

「いえ・・・でも薄々わかっていました」

「そうですか・・・」ペンギン先生は肺のそこから息を吐く。そして、続けて言う。

「λはこれで解散すると思われますが、せめて、λの証としてそのテスト機体をあなた

に託したい・・・了承していただけますかねぇ?」

 佐上は一瞬と惑ったが、自分はλの誇りを残せる唯一の人間であることに気付き、ま

た、断る理由は失われた。

「断る理由はないし、λの誇りを俺は持ち続けたい・・・だから、了承します!!

 ペンギン先生はまたにんまりと笑った。 

 

 





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