WエンゲージL
日常とは同じことの繰り返しだ。朝起きてから晩寝るまでのサイクルは多少の変化があっても急激に変わることはほとんどない。だから現実を知るものはその現実を淡々と受け入れ日々生活している。
今日もそういう日であった。
少なくとも、事を知っているもの以外にとっては。
「三村をドイツに送るですって!?」
“バン!”という机をたたく音に混じってカップか何かが激しく揺れたような鋭い音とともにその声が医務室に響いた。
声の主は元γ隊隊長、後藤。
「えぇ・・・」
顔色を変えて叫んだ後藤に対し、白衣は顔色を変えるどころか眉一つ動かさず、両肘を机に立て指を組んだ状態で座ったままでいた。
その態度に冷静さを取り戻したか、後藤はそのまま力を失ったようにソファーに深く座った
「何故、今更・・・?」
もはや独り言に近い後藤の問いに白衣は淡々と答える。
「現状のままでは誰も納得できないのですよ・・・彼が人間であることに」
「前回の戦いで・・・証明されたのではなかったのですか?」
後藤の視線は自分の影を見ていた。それ以外の場所は今の自分には明るすぎたのだ。
しばしの沈黙の後、白衣が口を開いた。
「・・・どのみち、決定が下った後では何を言っても無駄ですよ」
それは後藤にもわかり切った事だった。だが、無理とわかっていてもやはり納得がいかないのが人間の性だ。
しかし、焦って考えたところで余計に結論は遠ざかっていった。
白衣もその様子に気がついたのか、話題をすぐに切り替えた。
「そういえば、途中日本に重要物資を引き取りに行くのでうがその折に三村君と同行者の佐上君に2日間ほど休養を与えようとおもうのですが・・・」
もちろんここから日本までが長旅になるだろう事は後藤にも理解ができていたので、それについては全くとして異存はなかった。
しかし、ここで白衣は気になる言葉を言っていた。
「それはそうと・・・重要物資とは?」後藤は聞いた。重要であって機密ではないのだが、おそらくは話してくれないだろうと半ば駄目元だったのだが白衣は意外すぎるほどあっさり答えてのけた。
「あぁ・・・言いませんでしたっけ?ホープウインドはコアとするエッグフライヤーを別の機体に取り付けることによって換装可能なんですよ」
ある程度察しが着いた。
「では、その換装する為の機体を取りに行くと」
「えぇ・・・水中戦闘も可能とした超長距離航行用機体・・・」
「水中戦闘?戦闘機・・・ホープウインドがですか?」
話の流れ上それ以外には考えられなかったのだが、あまりに聞きなれない水中用戦闘機に疑惑を抱いてつい訊ねてしまった。
「えぇ・・・勿論です」
しかし、まだ解せない。水中では異文明体を確認したという報告は聞いていないのにも拘らず、なぜそんなものを作ったのか?もしかすると、混乱を避けるため表沙汰には出していないだけで実際確認さえているのか。
それがもしそうなら教えてくれるはずはないだろう。だが、食い下がるのもあとで引っかかるので一応尋ねてはみた。しかし、帰ってきたのは意外にあっさりした答えで、しかも、後藤が予想していたものと大きく外れていた。
「水中戦闘においては異文明体の存在はまだ確認されてないですねぇ・・・まぁ、彼らほどの科学力をもってしても水中とはそれほど驚異的なもので溢れているのでしょうねぇ」
後藤は問うた。
「ではなぜ・・・水中用機を作ろうと思われたのです?」
「それはそれを作るよう命令した方々でないと・・・まぁ・・・あらかた予想はつきますが、
つまりは我々の敵は異文明体だけではなく、人類という枠の中にも存在しえるものだということでしょうねぇ・・・今やどこでテロを起こされても不思議じゃないですから」
と、口元に三日月を浮かべつつも面白くなさそうに白衣は答えた。
人間とはどのような脅威の前であっても、協力することを知らない生き物なのだ。
*
その任務が伝えられたのは後藤が聞いてからまもなくのことだった。
「俺と三村少尉を日本に?」
佐上が少し驚いたような緊張したような裏声で言う。緊張するのも仕方はない何故なら、トリスティア最高責任者のマクラーレン少将から直々の命令だったのだから。
「まぁ、今はひとつ昇進して中尉だがね」
マクラーレンはその厳格そうな表情を崩さずに言う。
彼が直接佐上に会いに来た理由は二つある。
ひとつは、ホープウインドのパイロットである佐上に個人的興味があったこと、もうひとつは最高責任者が直接任務を通達してきるほど重要な任務であるということを示すためである。
「彼のこと、そして今回の任務・・・頼んだよ」
「は・・・はい!」
基地の最高責任者の威厳はやはり凄かった。一言一句に特殊な“気”でもこめられているかのように体がこわばり、話しかける言葉は噛み噛みになってしまう。
この空気の重さに呼吸すらできにくい状態にまでなっていた。
これでは質問ができず、何も頭に入らなかった。
本当は質問したかった。何故水中戦闘を可能とした戦闘機を作る必要性があったのか?確かに画期的ではあるかもしれないが、他にも多弾装ミサイル搭載型や、電子戦闘用機、ほかにもいくつかのコンセプトとはあったはずなのだが。
気圧されたまま聞きだせずに、マクラーレンは佐上の前から去っていった。
佐上はこの先がどうしても不安になった。ここで、このトリスティアで自分がどこまでできるのか、その先が見えてきてしまったような気がしてならなかった。
*
今回の任務について、三村にも命令が下された。
こちらのほうはマクラーレン本人から直接的に受けた命令でこそなかったが、その内容には
若干の変化もなかった。
「というわけで・・・あなたには一度日本へ帰ってもらうことになったんですが、依存はありませんかねぇ?」
その口調は感情に乏しく非常に機械的でもあったが、三村は言った。
「もはや決まったことを変えることはできない・・・それはよく知っています」
「ふむ・・・」
言葉のキャッチボールがつくづく下手な人になったものだと白衣は思った。以前の彼は非常に動物好きで虫一匹すら殺さない、ある程度は人の言葉にも耳を傾けるような人だった。
今目の前にいる彼は本当に三村なのかと一瞬疑ってしまう。
「もう終わりですか?」
ふと三村が口を開いた。
「え・・・えぇ?」
そのまま「では・・・」といって退席する三村を白衣は引き止めた。
「聞かないんですか・・・?どうしてこの装備かと」
すると彼はこう答えた。
「興味はない。決められたことをするだけだ」と。
しかし、この装備になったのは彼が異文明体であるかどうかを見極めるためのものでもあったのだ。
白衣はマクラーレン少将にこう考えを告げた。
「彼はここに戻ってきた。あの距離からなら別にこの基地でなくともよかったのではないかと思います。でも、彼はここに戻ってきた。この場所に執着しているんでしょう。人間であれば郷愁の感情で、異文明体であれば・・・ウインドホープの偵察のため・・・」
「ほう・・・」マクラーレンは顎に手を当てて考えたようなそぶりを見せる。
「ですから、彼を日本に一度送りましょう。そして、彼だけ日本にいる日にちを少しだけ伸ばして置きます、その間に彼が何らかの動きを見せれば」
「彼が異文明体かどうかわかるのだね?」
マクラーレンはこの話を聞いてこの装備を最初に配備すると決めたのだ。
もしかすると、三村はこの任務、そしてそのさきにある目的の一端をなんとなくは理解していたのかもしれない。
白衣は思考の隅でそう思い、それ以上何も言わずに去っていく三村の背中を見送った。